忘却論 第一回 器用に忘れることができるのか?

「忘れる」とは何か。

選択論に続き、こちらも私が気になっている概念です。

私は、とても忘れっぽい人間です。
本当に嫌になりますし、いくら気を付けてもなかなかなおりません。

でも嫌なことはなかなか忘れることが出来ません。正確には、思い出さなくなるまでに時間がかかります。

思い出さなくなることが「忘れる」だとしたら、あるきっかけで忘れていたことを思い出してしまったら、それは忘れているとは言えないのでしょうか。

忘れることはいいことなのか、良くないことなのか。
そして、忘れっぽくもなく嫌なこともすぐ忘れられる人と何が違うのでしょうか。

これらの問は、医学的なアプローチをすれば片付いてしまう話なのかもしれません。

意識的に「忘れる」ことは出来る?

身近なもので、パソコンと対比して考えてみます。

パソコンにはゴミ箱があります。使わないものをそこに入れることが出来ます。さらには、そのパソコンからデータを完全に消去することが出来ます。

「このデータには思い入れがあるから、消去されたけど隠して持っていよう」なんてパソコン、今はまだ無いですよね。

さらに、昨今著しい発展をしている人工知能もおそらく「忘れる」ことが出来るのでしょう。その点が(誤解を恐れずに言いますと)人間が劣っている部分でもあります。

忘れることの出来るものは作れるが、自由に忘れたり、忘れないようにすることが出来ないからです。

ポジティブ至上主義、自己啓発万歳な今、忘れられない人は悪者にされがちです。

休みの日はオフに切り替えて仕事のことは思い出さない。私にはまだ出来ません。でも、しなくちゃいけない、出来るようになりたいなとも思います。

でも、決して正当化している訳ではありませんが、それが「人間らしさ」なのではないかと思う部分もあります。忘れることで人に迷惑をかけてはいけないので、それは出来る限りの注意を払います。そして、忘れられないことはひたすら何か没頭できることをし考えないようにします。

現在、私が打てる手はこれだけです。

まだまだ長くなりそうです。今回はさわりだけにしたいと思いますのでこの辺で。

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